カルト的ヨーガ教室の内部描写
カルト宗教的ヨーガ教室にはほぼ例外なく「カリスマ」がいます。何とも言えない浮世離れしたような雰囲気の人がその人です。そういったカリスマは、何が言いたいのかよく分からない単語を平然と羅列します。
大きな宇宙の営み・宇宙の神秘を味わう
といった感じの表現です。
そのヨーガ教室の会員は、そのカリスマのそばに居ることが出来るだけでとにかく満足げです。最近流行りの「パワースポット」巡りをしているかのようです。
更に、運営者側は、カリスマと一緒にインド・アメリカ・チベット等の外国のアシュラムへ旅行させようとします。そこでそのツアー旅行代金にかなりの額を上乗せします。例えば、インド旅行なら10数万円あれば行けるところを50万円に設定しています。そういったところで暴利をむさぼっている、ということです。
分かりやすく例えるなら、アイドルとそれを追いかけるファンの構図にかなり近いです。ヨガ瞑想が深まった人の取る行動のようには見受けられません。
組織体制から「2代目社長の心理」をえぐり出す
どの組織でも、その組織独特の権力体制があります。それを外部から推察することはなかなか難しいですが、ただ、ウェブページには、会社の権力体制を見抜くための情報がいくつも隠されています。その一つをご紹介します。
例えば、家族経営の会社があったとして、その権力体制をウェブページから推し量りたいとします。
という会社が良くあるパターンですね。
しかしながら、その副社長に、その息子だけではなく、社長と同年代の実力者があと1,2人並んで載っていることが時々あります(複数人の副社長です)。あまりない組織体制なので、色々勘ぐってしまいます。
などと思ってしまいがちですが、その可能性は意外に低いと思います。何故なら、もし本当に権力争いをしているのなら、
と思うのが自然だからです(父と娘の権力争いが公になって、ある大手会社のイメージがダウンしてしまった事例を我々はすでに知っていますよね)。
それでは、なぜ現実的にそういった「複数人副社長」を公にしている会社が存在するのでしょうか。
冷静に洞察すると、おのずと答えは一つに絞られます。結論から申しますと、
その息子の「あらゆる経営責任を背負いたくない」という心理の現れだ
ということです。
要は、社長を慕っている側近(実力者)をそのまま副社長にしむけて責任分散の体制をとりたい、ということです。
何故なら、もし何か問題が起これば、その矛先を他の副社長へ「ずらす」ことが容易に出来るようになるからです(複数人副社長を公にしているので、矛先を分散させやすい、ということです)。
そして、「あらゆる経営責任を背負いたくない」という心理は経営上最悪です。何故なら、責任を負わないにも関わらず、権力だけは持っているので、
「部下の手柄は平気でとるが、部下の失敗は平気で責め立てる」
という愚行を平然とやってのけるようになるからです。
ヨガインストラクターがブラック企業を辞められない理由
ヨーガ教室に通うと、色々なヨガインストラクターの色々なお話が聞けるようになります。特にヨーガ教室に対する色々な愚痴が聞けるようになります。
と言う愚痴を聞くことがありました。「自分を見失う」という表現を使っている点が、ちょっと深刻である気がしました。
もう少し具体的に言うと
ということです。私自身は
「そこまで愚痴るなら、そのヨーガ教室を辞めれば良いのに。。。」
と正直思ってしまいますが、逆に言うと
どんなにひどい労働環境でも我慢し、そのヨーガ教室のネームバリューにしがみつきたい
という姿が透けて見えてしまっています。
「去る者追わず」と人に説法しておきながら、自身から去る者に対しては怒りを爆発させるヨガ人
或る方が或るヨーガ教室の指導者養成コースに所属していたのですが、事情があってそこを辞めることにしたそうです。
辞める際、お世話になった重鎮のインストラクターに「お世話になりました」と挨拶をしたのですが、その別れ際に
と決め台詞を吐かれてしまったそうです。その辞めた方は、そのセリフを聞いた瞬間
とモヤモヤしたそうです。
そして、その「来るもの拒まず去る者追わず」と堂々と言い放つ姿をみて、「理不尽極まりない」と余計モヤモヤしたのだそうです。なぜなら
「来るもの拒まず去る者追わず」と偉そうに説法しておきながら、
自身のことは棚上げして、自身から去る者に対していつも激怒している
からだそうです。以下がそのエピソードとなります(バズって無関係な私の耳に入ってきた事例なので、有名な逸話なのだと察しております)。
そのヨーガ教室に人気インストラクターがいました。その方の回のヨーガ教室はいつも満員だったそうです。ある日、その方が或る病気にかかってしまったのですが、集客力があるためか、運営者は
「ヨーガの仕事をそのまま続けて下さい」
と言ってずっと仕事をさせていたそうです。
そうした中、その人気インストラクターがとうとう入院するレベルにまで病状が悪化してしまいました。
さすがにインストラクターを続けるのがきつくなったそうで、その入院を機に「辞めます」と運営者に伝えたそうです。
するとその運営者は
「やめるな!」と激怒
し、そこでも必死に引き留めようとしたそうです。
「来るもの拒まず去る者追わず」と偉そうに説法しておきながら、
自分自身のことは棚上げして、自身から去る者に対していつも激怒している
ということです。以上です。バズって無関係な私の耳に届いてしまった噂です。ご参考になれば幸いです。
従業員から維持運営費用を徴収するヨーガ教室
あるヨーガ教室(営利団体)では、雇っているヨガインストラクターから、本来は売り上げから支出すべき費用(スタジオの運営維持費用)を徴収しているそうです。
流石にそのことを疑問に思った一人のインストラクターが運営者に
「従業員から運営維持費用を徴収することは、ちょっとおかしいのではないですか」
と問いかけると、その運営者は
「あなたには、このヨーガ教室をみんなと一緒に育もう、という奉仕の気持ちがないのですか!?○○さんはもっと献身的ですよ!」
と顔を赤くしながら怒りを爆発させたそうです。
余りにも衝撃的な内容だったので、ヨガ界ですでにご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。バズッて私のような無関係な人の耳にも届いてしまった事例です。
「みんな仲良く力を合わせて」から「金に汚い」社長が生まれる必然性
ある家族経営の社長は
「みんな仲良く力を合わせて会社を盛り上げよう」
というスローガンを掲げ、従業員に事業運営を任せていました。しかし、その運営業績が下がり始めたときにその社長の本性が現れます。
「ちゃんと運営しているのか?」
と、従業員を次第に問い詰めるようになってしまっていました。
次第に、従業員は陰で
「最低限のことだけをして、仲良く力を合わせているふりだけをしよう」
と考えるようになってしまいました。要は「仲よく力を合わせよう!」と口で唱えているだけで、何か実際に問題が起きても、「私は何も知らないです」といってうまく逃げるようになってしまっていました。
なぜこうなってしまうのか?理由は明らかで、社長が(例えどんなボンクラな社長でも)
「人事権」
と言う絶大な権力を有している以上、従業員と和気あいあい仲良くなんてできないからです。
このもっとも重大な認識が抜け落ちてしまうと、ときに血迷った行動に出てしまうことがあります。
その社長は何を思ったのか、従業員に対して
「あなたの財産の一部を会社再建のために融通して頂けますか」
とまで言いまわったそうです。特に、お子さんのいない従業員に対して重点的に言いまわったそうです。
みんな仲間なのだから、力を合わせてこの業績悪化を食い止めよう!
とでも思ったのでしょう(一番質の悪い無自覚なパワハラですね)。こうして
金に汚い社長の完成
に至ります。
「みんな仲良く力を合わせて」
というスローガンが、金に汚い経営者を創出させた典型例となります。
ヨーガ界で聖者と言われる人の具体的な特徴
ヨーガ界で聖者と言われている人のお話です。
その聖者と対面で話したとき、何か吸い込まれるような(眩暈のような)独特の感覚に襲われました。話し方からなのでしょうか、表情からなのでしょうか、独特の呼吸からなのでしょうか。とにかくそういう感覚に襲われました。
この感覚に溺れて
「この人なら私の人生を救ってくれるに違いない!」
と催眠術にかかって、どんどんのめり込んでいってしまった人がこのヨーガ教室にしがみついているのだと、その時悟りました。
さて、実はこの「吸い込まれるような」感覚を以前にも感じたことがあるのです。
それは、統合失調症発症後の幼馴染と対面で話をしたときです。
そのときも、同じ様な「何か吸い込まれるような」独特の感覚に襲われたのです。より具体的には、
その理解できないしぐさのたびに私は眩暈のような吸い込まれる感覚に襲われていました。
その時の感覚と、そのヨガ界で聖者と言われている人と対面で話したときの感覚が見事に一致したのです。
そのヨガ界の聖者も、宇宙のエネルギー、生命エネルギー、波動と言った(統合失調症の方がよく言っていそうな)言葉を惜しみなく発していましたし。
ただ、「シャーマンと統合失調症」との関係は昔からよく言われていることですし、そういったヨガ界の聖者が統合失調症(の兆候)を有していることはむしろ自然であるように思われます。
統合失調症を病気ととらえるか否かは、時代によって変わってきている
と、どこかの精神医学者が言っていたと記憶しています。なかなか根深い問題だと思います。