「私は人間的に成長している」とアピールするヨガ人の深層心理
あるヨーガ教室のブログで
「私は人間的に成長している」
とわざわざ言葉に表現しているヨガ人を発見しました。
そのヨガ人の深層心理を暴きます。
〈☆ここが振り出し☆〉「成長」にこだわる人は、ほぼ例外なく、非常に強い理想像(心清らか・私欲がない・純粋)を胸に秘めておられます。その理想像が頭にこびりついているため
人の意見に全く耳を傾けず、そして、時と場合によっては容赦なく怒りを爆発
させます(内に秘めた理想像を口実に怒りを爆発させるので、罪意識が全くありません)。
そして、ここがポイントなのですが、怒りが爆発してしまったことに対して
と「成長」を理由に自己弁護します。ここでも罪意識は全くありません。しかし怒りを爆発させてしまった事実から、
とその人の噂は瞬く間に広まります。そのような状況でも
と「成長」を理由に再び自己弁護し、噂話をする人たちを
「噂話はいけません!ヨガの心が育まれていない!」
と責め立てます。そして〈☆振り出し☆〉へと戻ります。
「守秘義務の育成」を公言する人の深層心理
「余計な一言にこそ人間の真意が表れる」具体例を以下にご紹介いたします。
ある方が、ある学習塾(ここではそう表現せてください)の説明会に赴いたそうです。すると、配られたパンフレットに
と書いてあったそうです。皆さまはこの一文に何か違和感を感じませんか?何故なら、
ですし、
そもそもお金を支払うお客さんに対して要求することではない
からです。お金が振り込まれたらそれっきり、という詐欺企業だったとしても、そういった契約率が下がってしまう(違和感のある)文面をわざわざパンフレットに記載するのでしょうか?
結論から申しますと
或るひどい事件がその営利団体の中で起きてしまい、それに対する悪評が広まってしまった経験がある。よって、何としてでも守秘義務を課したい
ということなのだと言わざるを得ません(事実確認をするまでもなく、筋を考えると、これしか答えはあり得ません)。
「私は差別をしません」
とわざわざ公言している人に限って一番差別意識が高い、といった経験はありませんか?何もないところに突然と現れる一言にこそ、その人の真意が現れる具体例となります(どのような事件が起きたのかは、さすがに存じ上げませんが)。
寄付金の扱い方に関するヨーガ教室の実態
あるヨーガ教室の話です。バズって全く無関係な私の耳に届いてしまったお話です。
そのヨーガ教室を長年懇意に思っている方が
「コロナ禍で大変だから、ヨガ教室運営を助けるために」
というメッセージと共に寄付をしました。しかし問題はここからです。
後日、その運営者が、その寄付金を私物購入に充てていることが発覚してしまいました(正確には、その寄付金を受け取った直後に、普段買わない高価な私物を買っていた)。
そのことを知ったヨガインストラクターの一人が
「寄付金なのでもう少し慎重に行動した方がいいのでは、、」
とその運営者に助言したそうです。私自身は至極まっとうな意見だと思うのですが、その運営者は
「そんなことをあなたに言われる筋合いはない!」
と、激怒したそうです。そのヨーガ教室では
「怒りの感情はヨーガによって鎮められる」
という看板を掲げているだけに、これはちょっと皮肉だと感じました。
陰で怒りをさらけ出せば「誰にもばれない」とでも思っているのでしょうか?
以上です。ケーススタディとして、ヨーガ関係皆さまのご参考になれば幸いです。
慈悲の心をアピールするヨーガ教室の真相
あるヨガ人が、あるヨーガ教室内(営利団体)でヨガ宗教の勧誘をおこなっていました。その誘いを断わると
と容赦なく責め立てました。精神的にかなり威圧的な方だったそうで、身心に不調をきたす被害者が続出しました。私が聞いたところによると、少なくとも、その被害者の中の三人が、幹部クラスのインストラクターに
と苦情を訴えたそうです。しかし、そのヨーガ教室が慈悲に溢れている(ここは皮肉です!)からでしょうか
と諭そうとして、何の対処もしなかったそうです。その苦情を訴えた人たちは、最終的には
と怒りを爆発させて、そのヨーガ教室を退会していったそうです。
そもそも、そういう風に格言を言い放っている幹部クラスのインストラクター自身も
とポロっと本音をこぼしていたそうです。要は
面倒なことに巻き込まれたくないが、『幹部クラスなのに、何の対処もしてくれなかった』という悪評だけは広まって欲しくはないので、慈悲の心をアピールしてその場をしのいだ
これだけのことだと思います。
以上です。バズって無関係な私の耳に届いた事例です。
無料奉仕を強要し、その上、仕返しを企てるヨガ人
あるヨガインストラクターが、自身が所属するヨーガ教室の運営者から講演会開催をお願いされたので、お客さんを集めて講演会を開催しました。しかしその開催後
と講演会後に運営者から通達されたそうです。
それを言われたそのヨガインストラクターが激怒して、その運営者と言い争いになったそうです。その運営者は
と顔を赤くしながら激怒し、一方でそのヨガインストラクターは
と反論し、ずっと平行線をたどったそうです。
結局和解に至らぬまま、そのインストラクターはそのヨガ教室を辞めることになりました。
愛・平和・調和・幸運・平安であるはずのヨーガ教室が(どこよりも)殺伐としている点にビックリしてしまいますが、その後の展開に私はもっとビックリしてしまいました。その辞めたインストラクターに対して
と(運営者本人ではなく)事務の人を介して通達したそうです。
一旦プレゼントしたものを、トラブル発生後に「返して欲しい」と意思表示するということは、
仕返し・怒りの表現
以外の何物でもないと思います。
ヨーガに携わっている以上、怒りを露骨に表現してしまうと「怒りを鎮めましょう」と日々説法している自分自身とあきらかに矛盾してしまい、そのことが巷の人々にバレてしまうことに「マズい」と思ったのでしょう。
そこで、事務員を介することを思いつき、自身の内なる怒りがバレないように隠そうとした、と言うことだと思います(噂がすで広まってしまっていて、バレていますが)。
バズって無関係な私の耳に届いてしまった事例です。
行ってはいけないヨーガ教室・宗教の勧誘が黙認されている
あるヨーガ教室(営利団体)で、ヨーガに熱心な或る方が、宗教の勧誘を行っていました。
その誘いをやんわりと断ったところ
「あなたはヨーガへの姿勢がなっていない!」
「まずはヨーガの経典を一から読んで勉強し直してください!」
と激しく責め立てられてしまいました。そのことを運営者側に相談したところ
「その勧誘者に対して怒ってはいけません。許す気持ちがヨーガには大切なのです。それはあなた自身の試練です。しっかりと反芻して下さい。」
と、何故か説教が始まってしまいました。
一事が万事です。その後、ふとしたことで
「このヨーガ教室では、同じように宗教勧誘で責め立てられた被害者が多々いる。それなのに運営者は堂々と黙認している」
という噂を耳にしました。
そういった(悪徳)ヨーガ教室の見分け方は簡単です。
ウェブページで「ヨーガ宗教」を神聖化していると読み取れる記述が書かれているかどうかを探せばよい
のです。「他宗教・他団体への勧誘禁止」をきちんと厳しくウェブページに記載しているヨーガ教室をお勧めします(営利団体である以上、これは当然のことかもしれませんね)。